Qt イベントフィルタ vs event() 関数：QScrollBar プログラミングの選択

2025-05-27

基本的な役割

event() 関数の主な役割は、オブジェクトに送られてきた様々な種類のイベント（マウスイベント、キーボードイベント、タイマーイベント、ペイントイベント、カスタムイベントなど）を受け取り、そのイベントの種類に応じて適切な処理を行うことです。

QScrollBar クラスにおける event()

QScrollBar クラスは、親クラスである QWidget や QAbstractSlider から event() 関数を継承しています。QScrollBar クラス内では、この継承された event() 関数をオーバーライド（再定義）することで、スクロールバー特有のイベント処理を追加したり、既存の処理を変更したりしています。

具体的には、QScrollBar の event() 関数は、以下のようなイベントを処理する可能性があります。

アクセシビリティイベント (QAccessibilityEvent): スクリーンリーダーなどの支援技術との連携に必要な情報を処理します。
スタイル変更イベント (QStyleChangeEvent): スクロールバーのスタイルが変更された際に、再描画などの処理を行います。
ペイントイベント (QPaintEvent): スクロールバーの描画処理（つまみの形状、溝、目盛りなどの表示）を行います。
キーボードイベント (QKeyEvent): キーボードの矢印キーなどによるスクロール操作を処理します。
マウスイベント (QMouseEvent): スクロールバーのつまみ（handle）のドラッグ操作、クリック操作などを検出して、スクロール位置の変更などの処理を行います。

戻り値 (bool)

event() 関数は bool 型の値を返します。

false: イベントが処理されなかった（または、さらに親クラスや他のイベントハンドラに処理を委ねたい）ことを意味します。この場合、Qtのイベント処理システムは、このイベントをオブジェクトの親クラスや他の適切なイベントハンドラに伝播させる可能性があります。
true: イベントが処理されたことを意味します。この場合、Qtのイベント処理システムは、このイベントに対するそれ以上の処理を行わない可能性があります。

プログラマーが event() 関数を再定義する場合

通常、QScrollBar の基本的な動作を変更したり、特定のイベントに対するカスタムな処理を追加したりする場合に、プログラマーは QScrollBar を継承した独自のクラス内で event() 関数を再定義します。

再定義された event() 関数内では、まず処理したい特定のイベントの種類 (event->type()) をチェックし、そのイベントに対する処理を行います。処理しなかったイベントや、基本的な動作を維持したいイベントについては、基底クラス (QScrollBar またはその親クラス）の event() 関数を QScrollBar::event(event) や QWidget::event(event) のように明示的に呼び出すことが重要です。

基底クラスの event() 関数の呼び出し忘れ

トラブルシューティング
- 再定義した event() 関数の最後に、必ず基底クラスの event() 関数を呼び出すようにします。
- 処理したい特定のイベント (event->type()) の種類を if 文などでチェックし、該当しない場合は return QScrollBar::event(event); または return QAbstractSlider::event(event);、return QWidget::event(event); のように呼び出すようにします。
エラー内容
再定義した event() 関数内で、処理しないイベントやデフォルトの動作を維持したいイベントに対して、基底クラス (QScrollBar やその親クラスである QAbstractSlider、QWidget) の event() 関数を呼び出すのを忘れると、スクロールバーの基本的な機能が失われる可能性があります。例えば、マウスイベントを横取りしてしまい、スクロールバーのつまみがドラッグできなくなったり、キーボード操作でスクロールできなくなったりします。

例（間違った実装）

bool MyScrollBar::event(QEvent *event) {
    if (event->type() == QEvent::MouseButtonPress) {
        // マウスボタンが押されたときのカスタム処理
        qDebug() << "Mouse button pressed on scrollbar!";
        return true; // イベントを処理したと報告（他の処理は行わない）
    }
    // 基底クラスの event() を呼び忘れている！
    return false;
}

例（正しい実装）

bool MyScrollBar::event(QEvent *event) {
    if (event->type() == QEvent::MouseButtonPress) {
        // マウスボタンが押されたときのカスタム処理
        qDebug() << "Mouse button pressed on scrollbar!";
        return true;
    }
    // その他のイベントは基底クラスに処理を委ねる
    return QScrollBar::event(event);
}

イベント型の誤判定

トラブルシューティング
- Qtのドキュメントで、処理したいイベントに対応する正しい QEvent::Type の値を再確認します。
- qDebug() などを使って、実際に event->type() がどのような値を返しているかを確認します。
- 複数のイベントを処理する場合は、else if を適切に使用して、条件分岐が正しく行われるようにします。
エラー内容
event->type() でイベントの種類を判定する際に、誤ったイベント型と比較してしまうと、意図した処理が実行されなかったり、予期しない動作を引き起こしたりする可能性があります。

戻り値の誤り

トラブルシューティング
- イベントを完全に処理し、それ以上の伝播をさせたくない場合は true を返します。
- イベントを処理せず、親ウィジェットや他のイベントフィルタに処理を委ねたい場合は false を返します。
- カスタム処理を行った上で、デフォルトの動作も維持したい場合は、カスタム処理後に基底クラスの event() を呼び出し、その戻り値をそのまま返すのが一般的です。
エラー内容
event() 関数が返す bool 値の意味を正しく理解していないと、イベントの伝播が意図しない形で止まってしまったり、逆に不要な処理が連鎖的に発生したりする可能性があります。

無限ループ

トラブルシューティング
- 再定義した event() 関数内で、QScrollBar の状態を変更するような処理を行う場合は、その変更が再び同じイベントを発生させないか慎重に検討します。
- シグナルとスロットのメカニズムを利用して、イベント処理の結果を他のコンポーネントに通知する方が安全な場合があります。
エラー内容
event() 関数内で、同じイベントを発生させるような処理を誤って記述すると、イベントが無限に送られ続け、アプリケーションがフリーズする可能性があります。

スーパークラスの挙動の理解不足

トラブルシューティング
- Qtのドキュメントで、関連するクラスの event() 関数の説明や、各イベントに対するデフォルトの挙動を確認します。
- 必要であれば、スーパークラスのソースコードを参照して、内部的な処理の流れを理解することも有効です。
エラー内容
QScrollBar やその親クラス (QAbstractSlider, QWidget) が、特定のイベントに対してどのようなデフォルトの動作をするのかを理解していないと、再定義した event() 関数が期待通りに動作しないことがあります。

イベントフィルタとの干渉

トラブルシューティング
- イベントフィルタがどのようにイベントを処理しているかを確認し、event() 関数内での処理との順序や影響を考慮します。
- イベントフィルタと event() 関数のどちらでイベントを処理するのが適切かを検討します。一般的には、特定のウィジェットの内部の動作に関わる処理は event() 関数内で行い、アプリケーション全体に影響を与えるような処理や、複数のウィジェットに共通する処理はイベントフィルタで行うことが多いです。
エラー内容
event() 関数を再定義したクラスのインスタンスに対して、イベントフィルタ (installEventFilter()) が設定されている場合、イベントの流れが複雑になり、予期しない動作を引き起こすことがあります。

シンプルなテストケースの作成
問題を特定するために、最小限のコードで再現できるテストケースを作成し、isolateして問題を調査します。
Qtのドキュメント参照
Qtの公式ドキュメントは、各クラスや関数の詳細な情報が記載されており、非常に役立ちます。
ステップ実行
デバッガを使って、event() 関数内をステップ実行し、変数の値や条件分岐の動作を詳しく確認します。
デバッグ出力の活用
qDebug() を使って、event() 関数が呼び出されたタイミング、処理したイベントの種類、戻り値などをログ出力し、処理の流れを確認します。

例1: マウスホイールイベントによるページスクロールの実現

通常、マウスホイールの回転はスクロールバーの値を細かく変更しますが、この例では、マウスホイールイベントを捕捉して、より大きな単位でスクロール（ページスクロールのような動作）を実現します。

#include <QScrollBar>
#include <QWheelEvent>
#include <QDebug>

class MyScrollBar : public QScrollBar {
public:
    MyScrollBar(Qt::Orientation orientation, QWidget *parent = nullptr)
        : QScrollBar(orientation, parent) {}

protected:
    bool event(QEvent *event) override {
        if (event->type() == QEvent::Wheel) {
            QWheelEvent *wheelEvent = static_cast<QWheelEvent*>(event);
            int delta = wheelEvent->angleDelta().y();

            if (delta > 0) {
                // 上方向のホイール回転で1ページ分上にスクロール
                setValue(value() - pageStep());
            } else if (delta < 0) {
                // 下方向のホイール回転で1ページ分下にスクロール
                setValue(value() + pageStep());
            }
            return true; // イベントを処理済みとして伝播を止める
        }
        return QScrollBar::event(event); // その他のイベントは基底クラスに処理を委ねる
    }
};

#include <QApplication>
#include <QMainWindow>
#include <QTextEdit>
#include <QVBoxLayout>
#include <QWidget>

int main(int argc, char *argv[]) {
    QApplication a(argc, argv);
    QMainWindow w;
    QWidget centralWidget;
    QVBoxLayout layout(&centralWidget);
    QTextEdit textEdit;
    MyScrollBar verticalScrollBar(Qt::Vertical);

    textEdit.setPlainText(QString(100, 'A')); // 適当なテキストを設定
    textEdit.setVerticalScrollBar(&verticalScrollBar); // カスタムスクロールバーを設定

    layout.addWidget(&textEdit);
    w.setCentralWidget(&centralWidget);
    w.show();
    return a.exec();
}

この例では、MyScrollBar クラスが QScrollBar を継承し、event() 関数を再定義しています。QEvent::Wheel 型のイベント（マウスホイールイベント）を捕捉すると、ホイールの回転量に応じて setValue() を pageStep() の単位で増減させています。return true; することで、デフォルトのホイールスクロール動作は抑制されます。他のイベントは QScrollBar::event(event); を呼び出して、通常の処理に委ねています。

例2: 特定のキーイベントによるスクロールバーの操作

この例では、特定のキー（例えば Page Up/Down キー）が押されたときに、スクロールバーの値を変更する処理を追加します。

#include <QScrollBar>
#include <QKeyEvent>
#include <QDebug>

class MyScrollBarWithKeys : public QScrollBar {
public:
    MyScrollBarWithKeys(Qt::Orientation orientation, QWidget *parent = nullptr)
        : QScrollBar(orientation, parent) {}

protected:
    bool event(QEvent *event) override {
        if (event->type() == QEvent::KeyPress) {
            QKeyEvent *keyEvent = static_cast<QKeyEvent*>(event);
            if (keyEvent->key() == Qt::Key_PageUp) {
                setValue(value() - pageStep());
                return true;
            } else if (keyEvent->key() == Qt::Key_PageDown) {
                setValue(value() + pageStep());
                return true;
            }
        }
        return QScrollBar::event(event);
    }
};

#include <QApplication>
#include <QMainWindow>
#include <QTextEdit>
#include <QVBoxLayout>
#include <QWidget>

int main(int argc, char *argv[]) {
    QApplication a(argc, argv);
    QMainWindow w;
    QWidget centralWidget;
    QVBoxLayout layout(&centralWidget);
    QTextEdit textEdit;
    MyScrollBarWithKeys verticalScrollBar(Qt::Vertical);

    textEdit.setPlainText(QString(100, 'B'));
    textEdit.setVerticalScrollBar(&verticalScrollBar);
    textEdit.setFocusPolicy(Qt::StrongFocus); // キーイベントを受け取れるようにフォーカスを設定

    layout.addWidget(&textEdit);
    w.setCentralWidget(&centralWidget);
    w.show();
    return a.exec();
}

ここでは、MyScrollBarWithKeys クラスが QEvent::KeyPress イベントを捕捉し、押されたキーが Qt::Key_PageUp または Qt::Key_PageDown であれば、setValue() を変更してスクロールします。textEdit.setFocusPolicy(Qt::StrongFocus); を設定することで、QTextEdit がキーイベントを受け取れるようにしています。

例3: マウスボタンのカスタム処理（つまみのドラッグ開始の検出）

この例では、マウスボタンが押されたときに、それがスクロールバーのつまみの上で発生したかどうかを検出する処理を追加します。（実際には、つまみのドラッグ処理は内部でより複雑に行われますが、ここでは単純な検出例として示します。）

#include <QScrollBar>
#include <QMouseEvent>
#include <QStyle>
#include <QStyleOptionSlider>
#include <QRect>
#include <QDebug>

class MyScrollBarWithDragDetect : public QScrollBar {
public:
    MyScrollBarWithDragDetect(Qt::Orientation orientation, QWidget *parent = nullptr)
        : QScrollBar(orientation, parent) {}

protected:
    bool event(QEvent *event) override {
        if (event->type() == QEvent::MouseButtonPress) {
            QMouseEvent *mouseEvent = static_cast<QMouseEvent*>(event);
            QStyleOptionSlider opt;
            initStyleOption(&opt);
            QRect handleRect = style()->subControlRect(QStyle::CC_ScrollBar, &opt, QStyle::SC_ScrollBarSlider, this);

            if (handleRect.contains(mouseEvent->pos())) {
                qDebug() << "Scrollbar handle was pressed!";
                // ここでカスタムな処理を行うことができます
            }
        }
        return QScrollBar::event(event);
    }
};

#include <QApplication>
#include <QMainWindow>
#include <QTextEdit>
#include <QVBoxLayout>
#include <QWidget>

int main(int argc, char *argv[]) {
    QApplication a(argc, argv);
    QMainWindow w;
    QWidget centralWidget;
    QVBoxLayout layout(&centralWidget);
    QTextEdit textEdit;
    MyScrollBarWithDragDetect verticalScrollBar(Qt::Vertical);

    textEdit.setPlainText(QString(50, 'C'));
    textEdit.setVerticalScrollBar(&verticalScrollBar);

    layout.addWidget(&textEdit);
    w.setCentralWidget(&centralWidget);
    w.show();
    return a.exec();
}

この例では、QEvent::MouseButtonPress イベントを捕捉し、style()->subControlRect() を使用してスクロールバーのつまみ（slider）の矩形領域を取得しています。マウスイベントの座標がこの領域内にあるかどうかを contains() でチェックし、つまみがクリックされた場合にメッセージを出力しています。

シグナルとスロットの利用

例
スクロールバーの値が変更されたときに、関連するウィジェットの状態を更新する場合。
利点
event() 関数を直接操作するよりも、より高レベルで直感的なプログラミングが可能です。イベントの種類ごとに専用のシグナルが用意されているため、イベント型の判定ミスを防ぎやすくなります。
説明
QScrollBar は、値が変更されたとき (valueChanged(int)), スクロールが開始されたとき (sliderPressed()), スクロールが終了したとき (sliderReleased()), スクロール位置が変更されたとき (actionTriggered(int)) など、様々な状況に応じてシグナルを発行します。これらのシグナルにカスタムのスロット関数を接続することで、特定のイベントに対応した処理を行うことができます。

connect(scrollBar, &QScrollBar::valueChanged, this, &MyWidget::updateRelatedWidget);

イベントフィルタの利用 (installEventFilter())

例
アプリケーション全体で特定のマウスホイールの動作をカスタマイズする場合や、複数のスクロールバーに対して共通のロギング処理を追加する場合など。
欠点
イベントの流れが複雑になる可能性があり、デバッグが難しくなることがあります。
利点
複数のウィジェットに共通するイベント処理を集中管理できます。また、ターゲットのウィジェットのクラスを継承せずに、外部からイベント処理を挿入できます。
説明
QObject::installEventFilter(QObject *filterObj) を使用すると、特定のオブジェクト（例えば QScrollBar）に送られるイベントを、そのオブジェクト自身が処理する前にインターセプトできます。イベントフィルタは、別の QObject 派生クラスとして実装され、eventFilter(QObject *watched, QEvent *event) 関数内でイベントを処理します。

class MyEventFilter : public QObject {
protected:
    bool eventFilter(QObject *watched, QEvent *event) override {
        if (watched == myScrollBar && event->type() == QEvent::Wheel) {
            // myScrollBar へのホイールイベントを処理
            QWheelEvent *wheelEvent = static_cast<QWheelEvent*>(event);
            // カスタムな処理
            return true; // イベントを処理済みとして伝播を止める
        }
        // その他のイベントは通常通り処理させる
        return QObject::eventFilter(watched, event);
    }
};

// ...
MyEventFilter *filter = new MyEventFilter(this);
myScrollBar->installEventFilter(filter);

スタイルシートの利用 (setStyleSheet())

例
スクロールバーの色や形状を変更する場合。
欠点
イベント処理そのものを変更することはできません。
利点
外観のカスタマイズに特化しており、コードを変更せずに視覚的な調整が可能です。
説明
スタイルシートを使用すると、ウィジェットの外観（色、形状、サイズなど）をカスタマイズできます。スクロールバーの特定の部分（つまみ、溝、矢印ボタンなど）に対するスタイリングも可能です。

scrollBar->setStyleSheet("QScrollBar::handle:vertical { background: blue; min-height: 20px; }");

カスタムウィジェットの作成 (継承)

例
特定の範囲やステップ値を持つ特殊なスクロールバーを作成する場合。
利点
特定の機能を持つ再利用可能なカスタムスクロールバーコンポーネントを作成できます。
説明
QScrollBar を直接継承して新しいクラスを作成し、コンストラクタや他のメソッドをオーバーライドすることで、初期設定や基本的な動作をカスタマイズできます。event() 関数もこの方法で再定義できますが、他のメソッドを組み合わせることで、より構造化されたカスタマイズが可能です。

class MySpecialScrollBar : public QScrollBar {
public:
    MySpecialScrollBar(Qt::Orientation orientation, QWidget *parent = nullptr)
        : QScrollBar(orientation, parent) {
        setMinimum(0);
        setMaximum(1000);
        setPageStep(100);
    }

    // 必要に応じて他のメソッドをオーバーライド
};

event() 関数の再定義が推奨されるケース

event() 関数の再定義は、以下のような場合に特に有効です。

既存のシグナルやスロットでは実現できない、非常に特殊なイベント処理を実装する場合。
ウィジェットの内部状態に基づいて、イベントの処理方法を細かく制御する必要がある場合。
特定の低レベルなイベントを直接捕捉し、デフォルトの動作を完全に置き換えたい場合。

代替手段の選択

通常は、より高レベルなシグナルとスロットのメカニズムや、イベントフィルタを使用する方が、コードの可読性や保守性の観点から推奨されます。スタイルシートは外観のカスタマイズに、カスタムウィジェットの作成は再利用可能なコンポーネントの作成に適しています。