Julia factorize() の代替方法:lu(), qr(), cholesky() の使い分け
具体的にどのような因数分解が行われるかは、入力された行列の型や特性によって異なります。factorize()
は、与えられた行列に対して最適な因数分解方法を自動的に選択してくれる、非常に便利な関数です。
以下に、factorize()
が返す可能性のある主な因数分解の型と、それらがどのように役立つかの例を挙げます。
-
特異値分解 (Singular Value Decomposition, SVD)
任意のサイズの行列に対して適用され、ユニタリ行列 (U)、特異値の対角行列 (Σ)、およびユニタリ行列 (V) の共役転置 (VH) の積に分解します (A=UΣVH).- 利点
行列のランクの決定、低ランク近似、主成分分析 (PCA) など、多くの応用があります。 - 返り値の型
SVD
オブジェクト
- 利点
-
コレスキー分解 (Cholesky factorization)
正定値エルミート行列(または対称正定値行列)に対して適用され、下三角行列 (L) とその共役転置(または転置)LH(または LT)の積に分解します。- 利点
正定値行列に対する線形方程式の求解が非常に効率的に行えます。また、モンテカルロ法などで多変量正規分布からのサンプリングを行う際にも利用されます。 - 返り値の型
Cholesky
オブジェクト
- 利点
-
QR分解 (QR factorization)
任意のサイズの行列に対して適用され、直交行列 (Q) と上三角行列 (R) の積に分解します。- 利点
最小二乗問題の解決や、行列の直交基底の計算に利用されます。特異値分解 (SVD) の計算の基礎となることもあります。 - 返り値の型
QR
オブジェクト
- 利点
-
LU分解 (LU factorization)
正方行列に対して適用され、下三角行列 (L) と上三角行列 (U) の積に分解します。- 利点
線形方程式 Ax=b を解く際に、Ly=b と Ux=y という2つの三角行列に対する連立方程式を順に解くことで、効率的に解を求められます。行列式は、U の対角成分の積として簡単に計算できます。 - 返り値の型
LU
オブジェクト
- 利点
factorize() の使用例
using LinearAlgebra
A = [4.0 2.0 1.0;
2.0 5.0 3.0;
1.0 3.0 6.0]
# 行列 A を因数分解
F = factorize(A)
println(typeof(F)) # 因数分解されたオブジェクトの型を表示
# 因数分解されたオブジェクトを使って線形方程式 Ax = b を解く (例: b = [1.0, 2.0, 3.0])
b = [1.0, 2.0, 3.0]
x = F \ b
println("解 x: ", x)
# コレスキー分解の場合 (正定値行列)
B = [4.0 1.0; 1.0 2.0]
C = factorize(B)
println(typeof(C))
# QR分解の場合
D = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0]
QRF = factorize(D)
println(typeof(QRF))
SingularException (特異例外)
- トラブルシューティング
- 行列の条件数 (condition number) を確認する
条件数が非常に大きい場合、数値的に特異に近い可能性があります。cond(A)
関数で確認できます。 - 行列式を確認する
特異な行列の行列式はゼロです。det(A)
関数で確認できます。ただし、浮動小数点演算の誤差により完全にゼロにならない場合もあります。 - 入力行列の構成を見直す
線形従属な列や行が存在しないか確認します。データの入力ミスやモデルの設計ミスが原因であることがあります。 - QR分解を検討する
QR分解は正方行列でなくても適用可能であり、特異な行列に対してもエラーが発生しにくい場合があります。ただし、LU分解やコレスキー分解ほど効率的ではない場合があります。
- 行列の条件数 (condition number) を確認する
- 原因
入力された正方行列が特異である(正則でない、つまり逆行列が存在しない)場合に発生します。LU分解やコレスキー分解は、正則な行列に対してのみ定義されています。行列が特異であると、分解処理の途中でゼロ除算が発生するなどしてエラーになります。
PosDefException (正定値例外)
- トラブルシューティング
- 行列がエルミート(または対称)であるか確認する
実数行列の場合は、A==A′ (ここで'
は転置) を確認します。複素行列の場合は、A==AH (ここで$H$
は共役転置) を確認します。 - 固有値を調べる
正定値行列の固有値はすべて正です。eigen(A).values
で固有値を確認できます。数値誤差によりわずかに負の値が含まれる場合もあります。 - ピボットの挙動を観察する (LU分解の場合)
LU分解でピボット選択が行われる場合、小さなピボットが現れると数値的に不安定になる可能性があります。lu(A, pivot=true)
を試してみることも有効です。 - 正定値性を保証する方法を検討する
例えば、共分散行列は理論的には半正定値ですが、数値計算上問題が生じることがあります。微小な正の値を対角成分に加えるなどの処理が有効な場合があります。
- 行列がエルミート(または対称)であるか確認する
- 原因
コレスキー分解 (factorize
がコレスキー分解を選択した場合や、cholesky(A)
を明示的に使用した場合) において、入力された行列が正定値でない場合に発生します。コレスキー分解は、エルミート正定値行列(実数の場合は対称正定値行列)に対してのみ適用可能です。
DimensionMismatch (次元不一致)
- トラブルシューティング
- ベクトルのサイズを確認する
size(b)
とsize(A, 1)
が等しいことを確認します。 - 線形方程式の設定を見直す
問題設定において、行列とベクトルの次元が整合しているか確認します。
- ベクトルのサイズを確認する
- 原因
線形方程式 Ax=b をF \ b
のように因数分解されたオブジェクトを使って解く際に、ベクトルb
の次元が行列A
の行数と一致しない場合に発生します。
TypeError (型エラー)
- トラブルシューティング
- 行列の要素の型を確認する
eltype(A)
で行列の要素の型を確認し、数値型(Float64
,ComplexF64
など)であることを確認します。必要に応じて、convert
関数などで型を変換します。
- 行列の要素の型を確認する
- 原因
factorize()
に数値型以外の要素を含む行列を渡した場合などに発生します。
数値的な不安定性
- トラブルシューティング
- ピボット選択付きのLU分解を試す
lu(A, pivot=true)
を使用すると、数値的に安定なピボットを選択することで精度が向上する場合があります。 - スケーリングを検討する
行列の行や列のスケールを調整することで、数値的な安定性が改善することがあります。 - より高精度な数値型を使用する
Float64
よりもBigFloat
などの高精度な浮動小数点数型を使用することを検討します(計算コストは高くなります)。
- ピボット選択付きのLU分解を試す
- 原因
行列がほぼ特異である場合や、要素の絶対値に大きな差がある場合など、数値計算上の問題により、期待通りの精度で因数分解や線形方程式の解が得られないことがあります。
- ドキュメントを参照する
Julia のLinearAlgebra
モジュールのドキュメントには、各関数の詳細な説明や使用例が記載されています。 - 簡単な例で試す
問題のある行列の小さなバージョンを作成し、そこでfactorize()
を実行して挙動を確認します。 - スタックトレースを確認する
どの行でエラーが発生したかを確認し、問題の箇所を特定します。 - エラーメッセージを注意深く読む
エラーメッセージは、問題の原因を示唆する重要な情報を含んでいます。
例1: LU分解による線形方程式の求解
この例では、factorize()
を使って行列をLU分解し、それを利用して線形方程式 Ax=b を解きます。
using LinearAlgebra
# 係数行列 A
A = [2.0 1.0;
4.0 -1.0]
# 右辺ベクトル b
b = [4.0; 2.0]
# 行列 A を LU 分解
LU_fact = factorize(A)
# LU 分解されたオブジェクトを使って線形方程式を解く
x = LU_fact \ b
println("係数行列 A:\n", A)
println("\n右辺ベクトル b:\n", b)
println("\nLU分解の結果:\n", LU_fact)
println("\n線形方程式の解 x:\n", x)
# 検証: A * x が b に等しいか確認
println("\n検証: A * x =\n", A * x)
このコードでは、まず係数行列 A
と右辺ベクトル b
を定義します。次に factorize(A)
を呼び出すことで、A
のLU分解が計算され、LU_fact
という LU
型のオブジェクトに格納されます。この LU_fact
オブジェクトは、元の行列 A
を直接扱うよりも効率的に線形方程式を解くための情報を持っています。LU_fact \ b
という簡潔な構文で、線形方程式の解 x
を得ることができます。最後に、求めた解 x
を元の行列 A
に掛けて、b
と一致することを確認しています。
例2: コレスキー分解による正定値線形方程式の求解
この例では、正定値行列に対して factorize()
がコレスキー分解を行い、線形方程式を解きます。
using LinearAlgebra
# 正定値対称行列 B
B = [4.0 1.0;
1.0 2.0]
# 右辺ベクトル c
c = [5.0; 5.0]
# 行列 B をコレスキー分解
Cholesky_fact = factorize(B)
println("正定値対称行列 B:\n", B)
println("\n右辺ベクトル c:\n", c)
println("\nコレスキー分解の結果:\n", Cholesky_fact)
# コレスキー分解されたオブジェクトを使って線形方程式を解く
y = Cholesky_fact \ c
println("\n線形方程式の解 y:\n", y)
# 検証: B * y が c に等しいか確認
println("\n検証: B * y =\n", B * y)
ここでは、正定値対称行列 B
を定義し、factorize(B)
を実行すると、Julia は自動的にコレスキー分解を選択します。返り値は Cholesky
型のオブジェクト Cholesky_fact
です。これも同様に \
演算子を使って線形方程式の解 y
を効率的に計算できます。
例3: QR分解による最小二乗法の解
この例では、過決定な線形方程式系に対して、factorize()
でQR分解を行い、最小二乗解を求めます。
using LinearAlgebra
# 行列 D (行数 > 列数)
D = [1.0 2.0;
3.0 4.0;
5.0 6.0]
# ベクトル f
f = [3.0; 7.0; 11.0]
# 行列 D を QR 分解
QR_fact = factorize(D)
println("行列 D:\n", D)
println("\nベクトル f:\n", f)
println("\nQR分解の結果:\n", QR_fact)
# QR 分解されたオブジェクトを使って最小二乗解を求める
z = QR_fact \ f
println("\n最小二乗解 z:\n", z)
# 検証: D * z と f の差を確認
println("\n検証: D * z =\n", D * z)
println("\n検証: ||D * z - f||^2 =\n", norm(D * z - f)^2)
この例では、3行2列の行列 D
と3要素のベクトル f
を用いて、解が存在しない過決定な線形方程式 Dz=f の最小二乗解を求めています。factorize(D)
は QR 分解を実行し、QR
型のオブジェクト QR_fact
を返します。QR_fact \ f
は、この最小二乗問題を効率的に解きます。
例4: 特異値分解 (SVD) の利用
factorize()
は直接 SVD を返すわけではありませんが、svd()
関数を使って特異値分解を行い、その結果を利用する例を示します。
using LinearAlgebra
# 行列 E
E = [1.0 0.0 0.0;
0.0 2.0 0.0;
0.0 0.0 0.0]
# 特異値分解を実行
U, S, V = svd(E)
println("行列 E:\n", E)
println("\n特異値分解:")
println("U =\n", U)
println("S =\n", S)
println("V' =\n", V') # V の共役転置
# 低ランク近似 (例: ランク 1 の近似)
if length(S) >= 1 && S[1] > 1e-10
E_approx_rank1 = U[:, 1] * S[1] * V[:, 1]'
println("\nランク 1 の近似:\n", E_approx_rank1)
end
factorize()
は、特定の行列に対して最適な分解方法を自動で選択しますが、SVD のように常に特定の分解を行いたい場合は、専用の関数 (svd()
) を使用します。この例では、svd(E)
によってユニタリ行列 U
、特異値のベクトル S
、ユニタリ行列 V
の共役転置 V'
が得られます。これらの要素を使って、元の行列の低ランク近似などを計算できます。
特定の種類の因数分解関数を直接使用する
-
特異値分解 (SVD)
svd(A)
関数を使用します。using LinearAlgebra E = [1.0 0.0 0.0; 0.0 2.0 0.0; 0.0 0.0 0.0] SVD_obj = svd(E) U = SVD_obj.U S = SVD_obj.S V = SVD_obj.V println("SVDオブジェクト:\n", SVD_obj) println("\nユニタリ行列 U:\n", U) println("\n特異値 S:\n", S) println("\nユニタリ行列 V:\n", V) println("\n検証: U * Diagonal(S) * V' ≈ E は ", U * Diagonal(S) * V' ≈ E)
-
コレスキー分解
cholesky(A)
関数を使用します。入力行列が正定値でない場合はPosDefException
が発生します。using LinearAlgebra B = [4.0 1.0; 1.0 2.0] Cholesky_obj = cholesky(B) println("コレスキー分解オブジェクト:\n", Cholesky_obj) L = Cholesky_obj.L # 下三角行列 U = Cholesky_obj.U # 上三角行列 (L') println("\n下三角行列 L:\n", L) println("\n上三角行列 U (L'):\n", U) println("\n検証: L * U' ≈ B は ", L * U' ≈ B) c = [5.0; 5.0] y = Cholesky_obj \ c # コレスキー分解オブジェクトを使って線形方程式を解く println("\n線形方程式の解 y (コレスキー分解):\n", y) # 正定値でない行列に対して cholesky() を実行するとエラーが発生 # B_non_posdef = [1.0 2.0; 2.0 1.0] # cholesky(B_non_posdef) # PosDefException が発生します
-
QR分解
qr(A)
関数を使用します。Thin QR分解や Reduced QR分解など、様々な形式のQR分解を行うためのオプションがあります (qr(A, thin=true)
など)。using LinearAlgebra D = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0] QR_obj = qr(D) println("QR分解オブジェクト:\n", QR_obj) Q = Matrix(QR_obj.Q) R = Matrix(QR_obj.R) println("\n直交行列 Q:\n", Q) println("\n上三角行列 R:\n", R) println("\n検証: Q * R ≈ D は ", Q * R ≈ D) f = [3.0; 7.0; 11.0] z = QR_obj \ f # QR分解オブジェクトを使って最小二乗解を求める println("\n最小二乗解 z (QR分解):\n", z)
-
LU分解
lu(A)
関数を使用します。ピボット選択の有無や、分解された行列の形式を制御するためのオプションも用意されています (lu(A, pivot=true)
,lu(A, ColumnNorm())
など)。using LinearAlgebra A = [2.0 1.0; 4.0 -1.0] LU_obj = lu(A) println("LU分解オブジェクト:\n", LU_obj) L = Matrix(LU_obj.L) U = Matrix(LU_obj.U) P = Matrix(LU_obj.P) # ピボット行列 (pivot=true の場合) println("\n下三角行列 L:\n", L) println("\n上三角行列 U:\n", U) if !isidentity(P) println("\n置換行列 P:\n", P) println("\n検証: P * A == L * U は ", P * A ≈ L * U) else println("\n検証: A == L * U は ", A ≈ L * U) end b = [4.0; 2.0] x = LU_obj \ b # LU分解オブジェクトを使って線形方程式を解く println("\n線形方程式の解 x (LU分解):\n", x)
-
条件数
cond(A)
関数は、行列の条件数を計算します。線形方程式の解の誤差の見積もりなどに使用されます。SVDの結果(最大の特異値と最小の特異値の比)に基づいて計算されます。 -
ランク
rank(A)
関数は、行列のランク(線形独立な列または行の数)を計算します。SVDの結果(特異値の数)に基づいて計算されます。 -
逆行列
inv(A)
関数は、正則な正方行列の逆行列を計算します。因数分解されたオブジェクトからも効率的に計算できます (inv(LU_obj)
など)。 -
行列式
det(A)
関数は、正方行列の行列式を計算します。因数分解されたオブジェクト(特に LU分解)からも効率的に計算できます (det(LU_obj)
など)。 -
固有値分解
eigen(A)
関数は、行列の固有値と固有ベクトルを計算します。対称行列やエルミート行列に対しては、symeigen(A)
を使用することで、実数の固有値と直交する固有ベクトルが得られます。using LinearAlgebra A = [2.0 -1.0; -1.0 2.0] Eigen_obj = eigen(A) λ = Eigen_obj.values v = Eigen_obj.vectors println("固有値分解オブジェクト:\n", Eigen_obj) println("\n固有値 λ:\n", λ) println("\n固有ベクトル v:\n", v) println("\n検証: A * v[:, 1] ≈ λ[1] * v[:, 1] は ", A * v[:, 1] ≈ λ[1] * v[:, 1])
factorize()
を直接使用する利点と、代替メソッドを使用する利点
-
代替メソッドを使用する利点
- 特定の種類の因数分解を明示的に指定できる。
- 因数分解の過程や結果をより細かく制御できる(例えば、ピボット選択の方法など)。
- 分解された行列の個々の要素(L, U, Q, R など)に直接アクセスできる。
- 特定のアルゴリズムを強制したい場合に便利。
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factorize() の利点
- 行列の型や特性に基づいて最適な因数分解方法を自動的に選択してくれるため、ユーザーが明示的に指定する必要がない。
- コードが簡潔になる。