Julia 初心者向け LinearAlgebra.QRCompactWYによる線形方程式の解き方
従来の QR分解では、直交行列 Q を明示的に行列として格納することが多いですが、特に Q の次元が大きい場合、メモリの使用量が多くなるという課題があります。QRCompactWY
型は、この課題を解決するために、Householder reflection と呼ばれる操作を効率的に利用して、Q を直接格納する代わりに、よりコンパクトな情報から Q を再構成できるように設計されています。
Householder reflection とは?
Householder reflection は、あるベクトルに対して、ある超平面に関する鏡像変換を行う操作です。QR分解の過程では、この Householder reflection を繰り返し適用することで、与えられた行列を上三角行列に変形していきます。そして、Q は、これらの Householder reflection を合成したものとして表現できます。
QRCompactWY
型の仕組み
QRCompactWY
型は、QR分解の結果として得られる以下の情報を格納します。
- 上三角行列 R: これは通常の QR分解と同じです。
- 行列 W: これは、Householder reflection を定義するベクトルを列として持つ行列です。
- ベクトル tau: これは、各 Householder reflection に関連するスカラー係数を格納したベクトルです。
これらの W と tau を用いることで、直交行列 Q を明示的に構成することなく、ベクトルとの積 Qv や QHv (ここで QH は Q のエルミート共役、実数の場合は転置 QT)を効率的に計算できます。
具体的には、Q は以下のような形で表現されます。
qquadQ=I−WTWH
ここで、I は単位行列、T は tau から構成される上三角行列です。しかし、QRCompactWY
型の利点は、この Q を実際に計算するのではなく、W と tau を用いて、ベクトルとの積を効率的に計算できる点にあります。
QRCompactWY
型の利点
- 計算効率: Q とベクトルとの積などの演算を、Q を明示的に構成するよりも高速に実行できる場合があります。
- メモリ効率: 特に大きな行列の場合、明示的に Q を格納するよりも、
W
と tau の格納に必要なメモリ量が少なくなります。
Julia での利用例
Julia で QRCompactWY
型の QR分解を得るには、qr
関数を使用します。デフォルトでは、qr
関数は QRCompactWY
型の結果を返します。
using LinearAlgebra
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0]
qr_result = qr(A)
println(typeof(qr_result)) # 出力: QRCompactWY{Float64, Matrix{Float64}}
Q = qr_result.Q # Q は LinearAlgebra.QRPackedQ 型になりますが、これは QRCompactWY の情報を元に Q を表現する型です。
R = qr_result.R
println("Q:\n", Matrix(Q)) # Matrix(Q) で明示的な Q 行列を表示できます
println("R:\n", R)
このように、qr
関数で得られた結果の .Q
フィールドは、QRCompactWY
の情報を基に直交行列 Q を表現する QRPackedQ
型のオブジェクトになります。必要に応じて Matrix(Q)
を用いることで、具体的な Q の行列を得ることもできます。
型に関するエラー (TypeError など)
- トラブルシューティング:
- エラーメッセージを注意深く読み、どの関数のどの引数で型のエラーが発生しているかを確認します。
- 関連する行列やベクトルのサイズ(次元)が、操作に必要なサイズと一致しているかを確認します。
size()
関数で次元を確認できます。 - 必要に応じて、
Matrix(Q)
などを用いて明示的に行列に変換してから操作を試みます。ただし、メモリ効率の観点からは推奨されません。 - Julia のドキュメントで、使用している関数がどのような型の引数を期待しているかを確認します。
- 例:
using LinearAlgebra A = [1.0 2.0; 3.0 4.0] qr_result = qr(A) b = [1, 2, 3] # サイズが合わないベクトル # Q * b はエラーになる可能性が高い(Q は 2x2)
- 原因:
QRCompactWY
オブジェクトに対して、想定されていない型の引数を渡したり、間違った型の変数に代入しようとしたりする場合に発生します。例えば、QRCompactWY
オブジェクトと互換性のないサイズのベクトルや行列を乗算しようとするなどです。
サイズの不一致に関するエラー (DimensionMismatch など)
- トラブルシューティング:
- エラーメッセージで示された次元を確認し、どの行列とベクトルの間で不一致が起きているかを特定します。
- 演算を行う前に、関係する行列やベクトルのサイズを
size()
関数で確認し、整合性を確認します。 - QR分解の Q は元の行列の行数と同じ行数を持ち、列数は元の行列の列数と同じになります。R は元の行列の列数と同じ行数と列数を持ちます(または、上三角部分のみが意味を持ちます)。これらの性質を理解した上で操作を行います。
- 例:
using LinearAlgebra A = [1.0 2.0; 3.0 4.0] qr_result = qr(A) Q = qr_result.Q b = [1.0, 2.0, 3.0] # Q (2x2) と b (3要素) は乗算できません # Q * b # DimensionMismatch エラーが発生する可能性
- 原因: 行列やベクトルのサイズが、線形代数の演算規則に合致しない場合に発生します。例えば、非正方行列に対する逆行列の計算を試みる、内積や行列積で次元が合わないなどです。
QRPackedQ オブジェクトの誤解
- トラブルシューティング:
qr(A).Q
の型がQRPackedQ
であることを意識し、直接的な要素アクセスや、Q
を通常の行列として扱う操作は避けるようにします。- Qv や QHv のような演算は、
Q * v
やQ' * v
のように直接行うことができます。内部的に効率的な計算が実行されます。 - もし明示的な行列 Q が必要な場合は、
Matrix(Q)
を用いて変換しますが、メモリ使用量が増加する可能性があることに注意してください。
- 例:
using LinearAlgebra A = [1.0 2.0; 3.0 4.0] qr_result = qr(A) Q = qr_result.Q # Q[1, 1] # 直接的な要素アクセスはできません Matrix(Q)[1, 1] # Matrix() で変換すればアクセス可能
- 原因:
qr(A).Q
はQRCompactWY
型の情報を基に直交行列 Q を表現するQRPackedQ
型のオブジェクトであり、直接的な行列ではありません。この点を理解せずに、通常の行列と同じように操作しようとすると、予期せぬ結果やエラーが生じることがあります。
数値的な問題
- トラブルシューティング:
- 問題となっている行列の条件数 (
cond(A)
) を評価し、非常に大きい場合は数値的に不安定である可能性があります。 - より安定したアルゴリズムや、高精度のデータ型(
Float64
など)の使用を検討します。 - 結果の検証を行い、期待される精度が得られているかを確認します。
- 問題となっている行列の条件数 (
- 原因: 浮動小数点数の演算には、丸め誤差がつきものです。特に条件数の悪い行列に対して QR分解を行う場合や、その結果を用いてさらに計算を行う場合に、数値的な不安定性や精度の低下が見られることがあります。
意図しない型の変換
- トラブルシューティング:
- 各演算の結果の型を
typeof()
関数で確認し、意図した型になっているかを確認します。 - 必要に応じて、明示的な型変換 (
convert()
) を行います。
- 各演算の結果の型を
- 原因:
QRCompactWY
オブジェクトに対して行う操作によっては、結果の型が意図せず変換されることがあります。例えば、スカラーとの演算などです。
- Julia のドキュメントを参照する:
LinearAlgebra
モジュールのドキュメントには、各関数や型の詳細な説明が記載されています。 - 簡単な例で試す: 問題が複雑な場合に、より小さな簡単な例を作成して、挙動を確認すると原因を特定しやすくなります。
- 関連する変数の型とサイズを確認する:
typeof()
やsize()
関数を用いて、変数の状態を把握します。 - エラーメッセージをよく読む: エラーメッセージは、問題の原因や場所を特定するための重要な情報源です。
例1: QR分解の実行と結果の確認
この例では、行列を作成し、その QR分解を実行して QRCompactWY
オブジェクトを取得し、その型と構成要素を確認します。
using LinearAlgebra
# 3x2 の行列を作成
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0]
# QR分解を実行
qr_result = qr(A)
# 結果の型を確認
println("qr_result の型: ", typeof(qr_result))
# Q 成分 (QRPackedQ 型)
Q = qr_result.Q
println("Q の型: ", typeof(Q))
println("Q:\n", Matrix(Q)) # Matrix() で明示的な Q 行列を表示
# R 成分 (上三角行列)
R = qr_result.R
println("R の型: ", typeof(R))
println("R:\n", R)
# コンパクトな表現 W と τ (内部構造)
W = qr_result.W
tau = qr_result.τ
println("W の型: ", typeof(W))
println("W のサイズ: ", size(W))
println("τ の型: ", typeof(tau))
println("τ のサイズ: ", size(tau))
このコードでは、まず qr()
関数を用いて行列 A
の QR分解を行い、その結果を qr_result
に格納します。qr_result
は QRCompactWY
型のオブジェクトです。このオブジェクトの .Q
フィールドは直交行列 Q を表現する QRPackedQ
型のオブジェクト、.R
フィールドは上三角行列 R を表します。また、内部的には .W
と .τ
に、Householder reflection を定義する情報が格納されています。Matrix(Q)
を使うと、QRPackedQ
オブジェクトから具体的な行列 Q を生成して表示できます。
例2: Q を用いたベクトルの変換
QRPackedQ
オブジェクトは、直接行列として扱うのではなく、ベクトルとの乗算に効率的に使用できます。
using LinearAlgebra
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0]
qr_result = qr(A)
Q = qr_result.Q
# ベクトルを作成
v = [1.0, 1.0]
# Q をベクトル v に乗算
qv = Q * v
println("Q * v:\n", qv)
# Q' (エルミート共役、実数の場合は転置) をベクトル v に乗算
qtv = Q' * v
println("Q' * v:\n", qtv)
この例では、QRPackedQ
オブジェクト Q
をベクトル v
に左から乗算しています。Q * v
は Qv を、$Q' \* v$ は QHv (実数の場合は QTv)を計算します。QRPackedQ
型は、明示的に Q を構成することなく、これらの演算を効率的に実行できます。
例3: QR分解を用いた線形方程式の求解
QR分解は、線形方程式 Ax=b を解くためにも利用できます。Ax=b は QRx=b と書き換えられ、Rx=QHb を解くことで x を求めることができます。
using LinearAlgebra
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0]
b = [5.0, 6.0]
qr_result = qr(A)
Q = qr_result.Q
R = qr_result.R
# y = Q' * b を計算
y = Q' * b
# Rx = y を後退代入で解く
x = R \ y
println("解 x:\n", x)
# 検証
println("A * x:\n", A * x)
println("b:\n", b)
この例では、まず A
の QR分解を行い、Q と R を取得します。次に、QHb を計算し、その結果を y とします。最後に、Rx=y を上三角行列 R を用いて後退代入で解き、x を得ます。\
演算子は、左辺が上三角行列の場合、効率的な後退代入を行います。
例4: QR分解を用いた最小二乗問題の求解
過決定な線形方程式系 Ax=b (行数 > 列数) に対して、∣Ax−b∣_2 を最小にする x を求める最小二乗問題を QR分解を用いて解くことができます。この場合も、Rx=QHb の解が最小二乗解となります。
using LinearAlgebra
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0]
b = [7.0, 8.0, 9.0]
qr_result = qr(A)
Q = qr_result.Q
R = qr_result.R
# Q' * b を計算
y = Q' * b
# R のサイズに合わせて y の要素を取り出す (R は列数 x 列数の上三角行列)
y_truncated = y[1:size(R, 1)]
# Rx = y_truncated を解く
x = R \ y_truncated
println("最小二乗解 x:\n", x)
# 検証 (残差のノルムを計算)
residual = A * x - b
residual_norm = norm(residual)
println("残差の 2-ノルム: ", residual_norm)
この例では、3x2 の行列 A
と 3要素のベクトル b
を用いて最小二乗問題を解いています。QR分解後、QHb の最初の size(R, 1)
要素を取り出し、それを用いて Rx=y_truncated を解いています。
LinearAlgebra.qr! (インプレース QR分解)
qr()
関数は新しい QRCompactWY
オブジェクトを返しますが、qr!()
関数は入力された行列を上書きする形で QR分解を行います。メモリ割り当てを減らしたい場合に有効です。
using LinearAlgebra
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0]
A_copy = copy(A) # 元の行列を保持するためにコピーを作成
qr_result_inplace = qr!(A_copy)
println("インプレース QR分解の結果の型: ", typeof(qr_result_inplace))
println("Q (Matrix):\n", Matrix(qr_result_inplace.Q))
println("R:\n", qr_result_inplace.R)
println("分解後の A_copy:\n", A_copy) # A_copy の下三角部分に Q の情報、上三角部分に R が格納される
qr!()
は QRCompactWY
型の結果を返しますが、入力行列 A_copy
の内容が分解の結果を格納するように変更されます。qr_result_inplace.Q
は QRPackedQ
オブジェクトであり、qr_result_inplace.R
は上三角行列です。
LAPACK 関数を直接呼び出す
Julia の LinearAlgebra
モジュールは、線形代数の高性能なバックエンドとして LAPACK (Linear Algebra PACKage) ライブラリを利用しています。必要であれば、LAPACK の QR分解関連の関数を ccall
を用いて直接呼び出すことも可能です。ただし、これはより低レベルな操作であり、Julia の抽象化されたインターフェースを利用するよりも複雑になる可能性があります。通常は、qr()
関数や関連する Julia の関数を使用する方が推奨されます。
例(概念的なもので、正確な ccall
の記述は LAPACK のインターフェースに依存します):
# これはあくまで概念的な例であり、正確な LAPACK 関数の呼び出し方は異なります
# LAPACK の dgeqrf 関数などを ccall で呼び出すことを検討できます
# function my_qr_lapack!(A::Matrix{Float64})
# m, n = size(A)
# tau = Vector{Float64}(undef, min(m, n))
# work = Vector{Float64}(undef, 1) # 最適なワークスペースサイズを問い合わせるための初期値
# lwork = -1
# info = Ref{Int32}(0)
#
# ccall((@blasfunc("dgeqrf_"), "liblapack"),
# Void,
# (Ref{Int32}, Ref{Int32}, Ptr{Float64}, Ref{Int32}, Ptr{Float64}, Ptr{Float64}, Ref{Int32}, Ptr{Int32}),
# m, n, A, m, tau, work, lwork, info)
#
# lwork = Int(real(work[1]))
# resize!(work, lwork)
#
# ccall((@blasfunc("dgeqrf_"), "liblapack"),
# Void,
# (Ref{Int32}, Ref{Int32}, Ptr{Float64}, Ref{Int32}, Ptr{Float64}, Ptr{Float64}, Ref{Int32}, Ptr{Int32}),
# m, n, A, m, tau, work, lwork, info)
#
# if info[] != 0
# error("LAPACK dgeqrf failed with info $(info[])")
# end
#
# # ここから Q と R を A と tau から再構成する必要がある
# # (これはさらに複雑な処理になります)
# end
LAPACK を直接呼び出す場合は、関数の引数の型、サイズ、そして出力の形式を正確に理解する必要があります。また、QR分解の結果から Q や R を適切に抽出・構成する処理も自分で行う必要があります。
他のライブラリの利用 (例: IterativeSolvers.jl)
QR分解は、必ずしも直接的に必要ではなく、他のアルゴリズムの内部で使用されることがあります。例えば、反復法を用いて線形方程式を解くライブラリ IterativeSolvers.jl
などでは、前処理として QR分解が内部的に利用される場合があります。この場合、ユーザーは QRCompactWY
オブジェクトを直接扱う必要はありません。
# using IterativeSolvers # このライブラリは QR 分解を直接公開しているわけではありませんが、内部で利用することがあります
# A = ...
# b = ...
# x, history = lsqr(A, b) # 最小二乗問題を反復法で解く例
IterativeSolvers.jl
の lsqr
関数などは、最小二乗問題を解くための反復法を提供しており、内部で安定化のために QR分解に関連する手法を用いることがあります。ユーザーは、QRCompactWY
の詳細を意識せずに、高レベルな関数を利用できます。
手動での Householder 変換の実装
QR分解は、Householder 変換を последовательно 適用することで実現できます。線形代数の理解を深める目的や、特定の問題に合わせてカスタマイズしたい場合には、Householder 変換を自分で実装し、QR分解を行うことも考えられます。
function householder_qr(A::Matrix{Float64})
m, n = size(A)
R = copy(A)
Q = Matrix(I, m, m)
for j = 1:min(m - 1, n)
# j 列目の j 行目以下の部分ベクトルを取得
v = view(R, j:m, j)
norm_v = norm(v)
if v[1] >= 0
v[1] = v[1] + norm_v
else
v[1] = v[1] - norm_v
end
v = v / norm(v)
# Householder 行列 H_j = I - 2 vv' を構成
H_j = Matrix(I, m - j + 1, m - j + 1) - 2 * v * v'
# R の j 列目以降に H_j を適用
R[j:m, j:n] = H_j * view(R, j:m, j:n)
# Q に H_j を適用 (累積)
Q[:, j:m] = Q[:, j:m] * [zeros(j - 1, m - j + 1); H_j]
end
return Q, triu(R)
end
A = [1.0 2.0; 3.0 4.0; 5.0 6.0]
Q_manual, R_manual = householder_qr(A)
println("手動実装による Q:\n", Q_manual)
println("手動実装による R:\n", R_manual)
この例は、Householder 変換を基本的な行列演算を用いて手動で実装し、QR分解を行うものです。この方法では、QRCompactWY
型は直接生成されませんが、QR分解のアルゴリズムを理解する上で役立ちます。ただし、効率性や安定性の面では、LinearAlgebra.qr()
の利用が推奨されます。
LinearAlgebra.QRCompactWY
に関連するプログラミングの代替手法としては、
- 手動での Householder 変換の実装: アルゴリズム理解に役立つが、通常は推奨されない。
- 他のライブラリの利用: 高レベルな関数を通じて、QR分解が間接的に利用される。
- LAPACK 関数の直接呼び出し: 低レベルだが、より直接的な制御が可能。
LinearAlgebra.qr!
: インプレースで QR分解を行う。